遺伝子治療に関する先日のプレスリリースを紐解く

ボイジャーセラピューティクス社は遺伝子治療における送達(薬を投与するプロセス)に新たな技術を追求することとなり、予定していたHDの臨床試験を取りやめました。ただ、長期的にはこれによって、もっと侵襲性の低い薬ができるようになるかもしれません。また、他にもたくさんの企業がHDの遺伝子治療に取り組んでいます。原文(英文はこちら “Unpacking recent gene therapy press”)

執筆:レオラ・フォックス博士、サラ・ヘルナンデス博士 2021年8月16日 
編集:ジェフ・キャロル博士


 ボイジャーセラピューティクス社は先日、同社の戦略を変更して遺伝子治療における送達に画期的な新技術を追求する旨を明らかにしました。残念ながら、短期的に見ればこれはHD患者を対象に遺伝子治療の試験をするというこれまでの計画を取りやめることでもあります。これにはがっかりですが、長い目で見れば、新たなアプローチを採用するという今回の決定はより安全・正確で侵襲性の低いHD治療につながることになるかもしれません。

 今回のニュースを機会に、HDBuzzチームが現状について補足するとともに、開発途上の遺伝子治療に関する最新情報をお伝えします。

遺伝子に関する知識の簡単なおさらい

 現在、開発途上にあるHDの遺伝子治療に取りかかるに先立って、遺伝子に関する基礎的な知識を少しおさらいしておきましょう。RNAを使った新型コロナワクチンが登場したことで、誰もがRNAについて頻繁に耳にするようになってきました。ところで、RNAとDNAはどう違うのでしょうか。また、RNAなりDNAを変えればどうなるのでしょうか。

DNAは様々な細胞の設計図のようなもので、そこには必要な遺伝子上の指示が網羅されています。遺伝子治療というアプローチでは、遺伝物質を導入することで、直接この設計図を変えることなく、それから産み出されるものを変えます。

 DNAは設計図になぞらえることができます。すなわち、個体内にあるあらゆる細胞の遺伝子レベルにおける基本設計図なのです。この基本設計図を真新しい状態に保つため、細胞はタンパク質を作るにあたってDNAのコピーを作業用に作成します。このDNAのコピーがRNAです。RNAはコピーにすぎないので、ぼろぼろになりはしないかとあまり気づかうこともなく使い倒すことができます。ぼろぼろになれば、細胞は設計図のDNAからコピーのRNAをまたすぐ作ることができます。というわけで、ほら!まっさらのRNA(=コピー)。これを使って細胞はタンパク質を作り続けることができるのです。

 科学者はこうした知識をテコに巧妙な方法を編み出すことで、自らが着目しているタンパク質を細胞にたくさん作らせたり、あまり作らせないようにしたりしているのです。

ハンチンチン低下への応用

 HDの場合、関心は細胞に損傷を与えるハンチンチンタンパク質の生成を減らすことにあります。これがいわゆるハンチンチン低下です。ハンチンチン低下には二通りの方法が可能となります。
1)生成されるRNA(=コピー)を破壊します。ただ、DNA(=設計図)はそのままにしておきます。これはアンチセンス・オリゴヌクレオチド(ASO)がよって立つ戦略で、ロシュ社やウェーブ社が臨床試験で試していたASOなどがそうです。
2)DNA(=設計図)からのメッセージを一部変更して、DNAをRNAにコピーできなくしたり、当該RNAの破壊に役立つ新たな指示を追加するようにしたりします。「遺伝子治療」と言う場合にはこのアプローチを指します。設計図自体は変えず、設計図から作られるものを変えます。

 上記の二つの戦略はいずれも最終的にはハンチンチンタンパク質の生成を低下させますが、いくつかの点で異なります。一番大きな違いは、RNA(=コピー)を破壊するにとどまる場合は投与を繰り返す必要があることです。細胞には依然としてもともとのDNA(=設計図)がありますから、新たなRNA(=コピー)が作られ続けます。したがって、そのコピーを常に破壊しない限り、ハンチンチンタンパク質が依然として生成されることになります。繰り返し投与するのは億劫に思えるかもしれませんが、このタイプのアプローチの場合、要するにRNAをターゲットにするだけの薬なので、その効果は必ず最終的には消え去るわけです。これによって安全面でのメリットはより大きくなります。

 ハンチンチン低下における遺伝子治療アプローチ(ユニキュア社やボイジャー社が取り組んでいるアプローチもそうです)では、ハンチンチンを標的とするに際し脳細胞に対して遺伝子上の指示を一度伝えるだけです。その後この指示に従って脳細胞はハンチンチン生成に干渉することができるRNA分子を作り続け、ハンチンチンタンパク質レベルを下げることになります。これは一回限りで完了するタイプのアプローチなので、繰り返しの投与は必要ありません。けれども、注意すべきは、このアプローチの場合、ハンチンチン低下のせいで他の影響が生じたとしても後戻りはできないということです。

 このような遺伝子治療のアプローチではDNAの付加が行われはするものの、その人のDNA編集が行われているわけではないということも注意すべき重要ポイントです。つまり、遺伝子治療は治療を受けている当人に利益をもたらすかもしれませんが、将来世代には受け継がれません。それにはCRISPRなどの遺伝子編集というやり方が必要になるでしょう。

 “今回の発表では、企業情報や投資情報が多かったのですが、科学的な内容も含まれていました。それは主として改良型の遺伝子治療送達システムや独自の創薬プラットフォームに関するもので、これらは相まってHDをはじめとする希少難病の遺伝子治療における送達方法としてボイジャー社が比較的侵襲性の低いものを開発することを可能にするかもしれません

 現時点でHDなどの脳疾患の遺伝子治療を行おうとすれば脳外科手術が必要になります。というのもDNAに手を加えるそうした薬は脳関門を突破することができないからです。この大きな制約こそ、ボイジャー社が回避しようとしていたものなのです。

ボイジャー社の発表内容とは?

 2021年8月9日、ボイジャーセラピューティクス社がプレスリリースを出しました。それは会社の業績や先ごろの経営陣の交代などに関するものでしたが、同社の開発計画の大きな変更に関するものもあり、これは重要でした。今回の発表では、企業情報や投資情報が多かったのですが、科学的な内容も含まれていました。それは主として改良型の遺伝子治療送達システムや独自の創薬プラットフォームに関するもので、これらは相まってHDをはじめとする希少難病の遺伝子治療における送達方法としてボイジャー社が比較的侵襲性の低いものを開発することを可能にするかもしれません。

 これまでにボイジャー社が開発していた遺伝子治療も(そしてユニキュア社など他社によるものも)そうですが、送達にはAAV(アデノ随伴ウイルス)という無害なウイルス内への遺伝子薬剤組み込みがつきものです。HDの遺伝子治療分野では、AAVが遺伝子上の指示を送り込むために使われ、この指示が細胞に伝えられて、伸長したHD遺伝子に対する遺伝子上の”解毒剤”を細胞機構の一小部分で生成するよう仕向けるのです。

 ボイジャー社はAAVへの新たな組み込み方法を独自に開発し、それによってAAVがより安全、有効、正確に送達を果たせるとのエビデンスをサル対象に収集しました。同社はさらなる疾患や薬剤ターゲットに対応するAAVを突き止めたり改良を行ったりするための新たな創薬システムにも投資してきました。

HDの遺伝子治療にとって今回の発表が意味するもの

 現在のところHD治療の送達にAAVを使う場合には脳外科手術が必要ですが、ボイジャー社の新たなプラットフォームを使って開発した薬剤ならば、血液への注入による送達をデザインすることが可能です。つまり、今までより侵襲性の低い脳への送達が可能になるかもしれないのです。

 今回のプレスリリースによれば、ボイジャー社はこれまでの技術からこの新たな技術へと軸足を移すことになります。そうした次世代技術は結構なのですが、マイナス面は要するにHDのために以前から開発していた治療薬にボイジャー社はもう取り組まないということです。この薬(VY-HTT01)は予定されていたVYTALという安全性臨床試験(今年の後半には始まることになっていた臨床試験)の主役となるはずでした。まだ計画の初期段階でしたので、参加者の募集は始まっていませんでした。

 臨床に近づいていた遺伝子治療が一つ失われるのは短期的には大いなる挫折ですが、新たな科学上の開発に向かうというボイジャーの今回の方向転換は、新たな、そしておそらくはより良いHD治療へと途を開くことになります。

ボイジャー社が今回のアプローチで取り組むことになるHDの遺伝子治療薬は静脈内投与でも脳に達することが可能となります。素晴らしい新たな前進です。

開発途上にあるその他の遺伝子治療薬

 喜ばしいことに、遺伝子治療アプローチに取り組んでいる企業は他にもあり、そうした企業も最近になってHDを対象とした進行中あるいは間もなく始まる試験について最新情報を公にしています。以下にそうした情報についてそれぞれ簡単にまとめてみました。取り組みが進むにしたがって新たな情報がさらに出てきますので引き続き注目しておいてください。

 HDの遺伝子治療分野のトップバッターはユニキュア社で、ウイルスを使った治療薬(AMT-130)を開発中です。この治療薬の最終的な目的は、脳細胞に指示を伝えて特別なRNAを作らせ、これによってハンチンチン遺伝子に対応したRNAを見つけ出して破壊することです。このようにして、遺伝子治療薬はハンチンチン低下を恒久的にもたらすよう使用することができます。ユニキュア社は動物による研究を長年慎重に行ったうえで安全性試験を開始し、素晴らしいことに予定していた26名の患者のうち12名の手術をこの夏までに完了することができました。厳密に管理されたスケジュールによって、同社の研究チームは安全上の問題がないか注意深く経過観察することができていますが、今までのところはそのような問題は現れていません。

【訳者注 2022年8月29日付、AMT-130の臨床試験における有害事象についての記事HdBuzz329 本文はこちら。日本語訳概要は下記を参照】

日本語訳概要

高用量グループの参加者で施術済みの14名中3名に重篤な有害事象が認められた。そのうち、2名は完全に回復し、もう1人も既にかなり快方に向かっており、全員退院している。原因は薬剤(AMT-130)そのものにはないようだが、正確なところはまだ結論が出ていない。したがって同グループ参加者残りの2名への施術は現在のところ中断されている。一方で低用量グループについては計画通り進められている。今後も全参加者へのフォローは継続され、そのデータは2023年のはじめには発表されると思われる。

 ウイルスを使ったハンチンチン低下の遺伝子治療薬の開発で臨床前の段階にある企業としてはさらにスパーク、サノフィ、アスクレピオスバイオ製薬(AskBio)などがあります。

 ハンチンチン低下の遺伝子治療アプローチにはジンクフィンガーという新たな手法を使うものもあります。このアプローチについてHDBuzzでは2012年から取り上げてきましたが、より新しいところではHDマウスを対象にこの手法を使った大規模な研究を紹介しました(2019年)。最近になって日本の製薬大手武田がサンガモ製薬(もともとこの薬を開発したのはこの会社です)からこのHD事業を引き継ぎました。ハンチンチン低下におけるこのアプローチの主たる利点は、変異ハンチンチン遺伝子だけを選んでそのスイッチを切ることができる点で、HD患者のほぼすべてが持っている正常な方の対立遺伝子は見逃してくれるのです。

ハンチンチンRNAをターゲットとする様々な戦略

 この春に不首尾に終わった臨床試験でロシュ社やウェーブ社が採用した繰り返し薬剤を送達するというやり方についてはすでに触れました。今回は失敗したものの、ASO(アンチセンスオリゴヌクレオチド・核酸医薬の1種)などRNAレベルの戦略については依然としてHD治療薬開発が盛んにおこなわれています。

 ウェーブライフサイエンス社は自らのASO薬の化学構造を設計し直しました。これによって有効性が改善されHD患者に使用するのに比較的低用量で済むだけの効き目を持つようになるかもしれません。同社は新たなASOの安全性試験を2021年中には始める計画を明らかにしました。この薬はWVE-003といい、伸長型ハンチンチンを標的にするものです。

 ノバルティス社とPTCセラピューティクス社はスプライシング調節薬という薬を開発しています。これもハンチンチンRNAをターゲットにしますが、経口摂取が可能です。ノバルティス社のブラナプラムについては最近の記事で取り上げました。HD患者を対象とした試験が2021年中には始まる予定です。

【訳者注:2022年8月8日付 ブラナプラムのVIBRANT-HD試験が一時中断との記事 HDbuzz328 本文はこちら。】

 “他の企業も遺伝子治療の領域などで精力的に取り組んでいることからも分かるように、多くの本当に素晴らしい戦略がHDという課題に適用されているのです”

 ニューベースセラピューティクス社はNT0100というASOを開発していて、これも伸長型ハンチンチンのみをターゲットにしようとしています。

 7月の終わりには、VICOセラピューティクスという会社が同社のVO659というHD治療のためのASO開発に当たって、希少疾病用医薬品、すなわちオーファンドラッグの指定を取得しました。

 アタランタやアルナイラム/リジェネロンといった会社はRNA干渉(RNAi)によってハンチンチンを低下させる方法を開発しています。RNAiはASO同様、RNA(=コピー)をターゲットにしており、繰り返しの送達を要することになります。

さらにほかのアプローチも

 現在進行形の戦略はまだほかにもあって、そのなかにはやはり遺伝子治療やRNA(=コピー)の破壊に依拠するものもあります。たとえばCAGリピートの伸長をターゲットにするものにトリプレットセラピューティクスやロックス23セラピューティクスといった企業が取り組んでいます。

 また、HD治療薬の開発アプローチは様々で、遺伝子にとどまらずHDに関する生物学の他の側面(たとえばニューロン結合の保存・強化や、攻撃性、記憶・動作に関する諸問題の治療など)に特に注目して取り組んでいるものもあります。すでにヒトを対象に試験が行われているものについては臨床試験のまとめとして先日HDBuzzで取り上げました。臨床前プログラムのある企業はほかにもあり、脳細胞を侵している既存のハンチンチンタンパク質を除去したりHD患者の脳の炎症を抑えたりといった様々な戦略を掲げています。このように、HD研究には新たなメンバーが続々と登場しているのです(大歓迎です)!

今回のポイント

 脳疾患への遺伝子治療の適用というのはHDとの闘いの試みの中でも最も最先端のアプローチです。新たな分野ではそれがどのようなものであってもいえることですが、ひとつの治療法に至る道には多くの紆余曲折が必ずあります。ボイジャー社が先日発表した最新情報は、その典型的な例です。今年中に予定されていた臨床試験が実施されないことになったのは確かに残念ですが、新たに開発した技術をボイジャー社がHD患者やその家族のために使おうとしているのは素晴らしいことです。他の企業も遺伝子治療の領域などで精力的に取り組んでいることからも分かるように、多くの本当に素晴らしい戦略がHDという課題に適用されているのです。

レオラ・フォックス博士はアメリカハンチントン病協会(HDSA)で職務に当たっています。この記事で言及されている諸企業のなかには(ボイジャー、ロシュ、ウェーブ、ユニキュア、スパーク、サノフィ、ノバルティス、トリプレットなど)HDSAと関係があり、非開示契約を結んでいるものもあります。サラ・フェルナンデスとジェフ・キャロルには開示すべき利益相反はありません。当サイトのディスクロージャーポリシーについて詳しくはFAQをご覧ください。