Kちゃん誕生
「こどもを持つなら一姫二太郎♪」そう単純に思っていた私は、既にかわいいM子ちゃん(Kちゃんの姉)を授かっていたので、Kちゃんがお腹に宿った時、何故か「この子は男の子♪」と直感♪まさに予感的中で、エコーになにやら○ン○ンの影〜♪それでも生まれてくるまでにチョコッといろいろあったりもした。妊娠2ヶ月で切迫流産しそうになり一時入院。その後、妊娠7ヶ月で早産になりかけて、子宮口を縛る手術を受ける為再度入院。最後は駄目押しに予定日2週間前で破水してしまい、そのまま出産(2684g)とはなったものの、無事元気に生まれてスクスク育ってくれた。
3ヶ月で首が据わり、4ヶ月で寝返りをし、6ヶ月でお座り。11ヶ月で歩くようになって、1歳ではフォーク、スプーンを使って自分で食事。2歳を過ぎた頃は、お話するようになり箸も上手に使いこなせて、小さいお豆も掴むことが出来るようになっていたのである。(スゴイ!)どんな賑やかな中でも、スヤスヤお昼寝してくれるし、ごはんは何でも食べてくれる。夜泣き、ぐずりに悩まされることなく、とっても育てやすい可愛らしいKちゃんであった。
なんか変かも・・?
そんなKちゃんに不安を感じるようになったのは、家を建てる為、本格的に共働きをしようと子供たちを保育園に預けるようになってからだった。今思えば、その頃発病していたようだ。私は、Kちゃんの言動にメチャメチャ悩みまくってた。
まずは、転倒の問題。
転ぶ時に何故だかどうしても手をつけず、そのまま倒れてコンクリートに頭を打ちつける。お友達とふざけっこして押されても、手をつけずに頭を打ちつける。頭を打ち過ぎていることがとっても心配で 何度もKちゃんに手をつく練習をさせたけれど、とっさの時はどーしても手をつけない!何度も頭を打ち、床や教室を血だらけにして、私も血まみれになりながら、Kちゃんを抱えて病院へ走るたびに 疑問がどんどん膨らんでいった。
どうして転ぶ時、手をつけないんだろう?
切っては縫うということを何度も繰り返し、6歳の頃にはトータル22針にもなっていた。それにもかかわらず、他のこどもたちと同じように成長し、何でも出来るKちゃんにまさか障害があるなんて、私には考えられなかったのである。アホであ〜る。
つづいて、言動の問題。
何度同じ事で怒られても、すぐにまた同じいたずらをして怒られる。Kちゃんを見ていて不思議だったのは、頭ではやってはいけない事だと解っていても身体が言う事を聞かずに、勝手に動いてしまうという感じだったこと。お友達の靴を川へ投げてしまったり、噛み付いてしまったりと、問題を起こしては怒られて、その後パニックを起こして泣き喚いてしまう。でも悪い事をしたんだという事は、よおく解かっているので、パニックが治まると「ごめんなしゃ〜い。」と言って何度も謝るのだ。(これがすっごくかわいい!)でもすぐまた同じ事をして怒られてしまう。こうなるとさすがのアホな私でも「なんか変かも・・?」と思うようになってきた。自分の身体がいうことをきかないなんて可哀想すぎる!私は、いつの頃からか、この「ごめんなしゃい・・。」と謝っている時のKちゃんが、本物のKちゃんなんだろうな・・と思うようになっていた。
障害持ってますよ?
しっかし!「なんか変かも・・?」と思ったからとはいえ、イコール「障害をもってるかも・・?」と思うようになったかといえば、そうはいかない。こ〜ゆ〜微妙〜な状態で障害児だと認めることは、とても勇気がいるのである。「なぁに。ちょっと成長がゆっくりなだけさ。」と思う程度で、極力気にしないようにしていた。
そんな中、Kちゃんが保育園の年長さんに上がり、市の言語センターから言葉の発達をチェックしに保育園にきてくれた時、“サ行とタ行に問題がある”と言われ、言語センターへ指導を受けに行くことを勧められてしまった。私もKちゃんの赤ちゃん言葉は気になっていたので、言語センターへ行けば直して貰える、とウキウキしながらKちゃんを連れて行ったのだが、そこで思いもよらぬ言葉を投げつけられた。
言葉の指導とは、椅子に座り鏡に向き合って、舌の動きを見ながら直していくというやり方なのだが、なかなか椅子に座ろうとせずに、部屋の中をキャーキャー言って駆け回るKちゃんを見て、指導員が私に「この子は何か障害を持っていると思いますので、一度大きな病院で診て貰った方がいいですよ。」と言ったのだ。そりゃ〜今考えれば、あんなに走り回るKちゃんを捕まえて、舌の訓練をしろというのはムリであったろうと思うのだが、あの当時の私は、いきなり突きつけられたその言葉にかなり衝撃を受けてしまい、「ちょっと落ち着きがないくらいで、すぐ障害児だと判断するのはおかしいですよ。」と反論したが、指導員も譲らない。「とにかく、大きな病院で診てもらう事を勧めます。これでは指導は無理。」との理由で何もして貰えず、帰宅を促されたのである。すっかり頭に血が上った私は「解りました!病院へ行ってきます。そして何でもないことを証明してきますよ!」と言い捨てて、言語センターを後にしたのだった。